憲法9条を改正するかどうかは些細な問題

プーチンウクライナ侵攻を受けて、今後の日本の安全保障についての議論が盛り上がっている。 日本の安全保障の議論において、いつも話題になるのが「憲法9条の改正が必要なのかどうか」というものである。

ここでは、あえて「安全保障の観点においては、憲法9条を改正するかどうかは些細な問題」であると主張したい。

憲法9条の改正よりも大事なこと

日本の安全保障に関して、憲法9条の改正よりも重要なのは「日本の安全をどうやって守るのか」である。 この議論こそが主で、憲法9条を改正するかどうかはあくまでも従である。 私の観測範囲の話であるが、「日本の安全をどうやって守るのか」の議論をせずに、憲法9条を改正すべきとか、核共有をすべきとか、枝葉の話ばかりされている印象がある。

憲法9条の改正が必要かどうかは、「これからは日本の安全をこうやって守る」という方針が打ち出された上で、その政策目標の達成のために必要なこととして議論されるべきことである。 その政策目標達成のために改正が必要なのであれば改正すればよいし、改正が必要ないのであれば改正しなくてよい。 重要なのは政策目標を何にするかであって、憲法の改正をするかどうかではない。「日本の安全をどうやって守るのか」に比べれば、憲法9条の改正をするかしないかは些細な問題ではないだろうか。

もちろん、憲法改正には大きなエネルギーが必要である。もしかしたら、憲法の改正はハードルが高いため「憲法を改正しないで済む範囲内で」といった形で、政策目標が修正されることはあるかもしれない。しかし、あくまでも「日本の安全をどうやって守るのか」の議論が主であることに変わりはない。

その意味で、以下の記事にあるような改憲ありきの姿勢にはまったく賛同できない。安全保障環境の変化を受けて改憲したいと言うなら、まず「日本の安全をどうやって守るのか」を説明し、それを実現するために憲法を変える必要がある、ということを説明してほしい。憲法の改正を目的にしてはならない。

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安全保障の議論でもうひとつ大事なこと

もうひとつ、ウクライナ危機を受けて重要なのは、「冷静に、論理的に議論すること」である。 日本が直面している脅威はなにか、それを防ぐにはどうすればよいか、というのは論理を突き詰めて議論すべき内容だと考えている。憲法9条をもとに平和を訴えていくでも、核共有でも、はじめから否定されるべきではないし、議論してよいと思う。しかし、どんなやり方であれ、日本が直面している脅威はなにか、それを防ぐにはどうすればよいかをはっきりさせ、「日本の安全を守る」という目的を達成するために何をすべきかを論理的に語ってほしい。

なぜかこの手の話になると「憲法9条の改正は断固として阻止」とか「核武装すべき」とか、そういったイデオロギーに基づく感情的な議論になってしまっている印象がある。

ドイツでは軍事費の大幅な増強、フィンランドではスウェーデンではそれまでの中立という立場を変更し、ウクライナへの武器の供与やNATO加盟などが議論されている。 これらはいずれもロシア軍のウクライナ侵攻からわずか1週間の出来事である。欧州の危機感は相当なものであると推測する。

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一方日本では、先ほど述べたような感情的な議論がなされている。私はそれを見て「ウクライナ危機を対岸の火事だと思っているのだな」と感じた。

海の上で船の底に穴が空いて浸水しており、このままでは沈んでしまうというときに、イデオロギーの話をしていては船は沈んでしまう。そういうときは、船のどこに穴が空いていて、それを塞ぐにはどうすればよいかを冷静に分析し、船が沈まないようにするにはどうするか考え、議論してすばやく行動に移す必要がある。

この問題が冷静、論理的に議論され、日本の安全を守る具体的な行動に移されることを願っている。 ウクライナ危機を受け安全保障環境が悪化している中、われわれは対立している余裕はないのではないだろうか。